人にわかるものにするために必要なこと
絵なら例えば
知覚的には顔を入れること
系譜的にはその顔の型を選択すること
曲なら
歌を入れることとその型
誰かにあげたり何かの別の目的のための使用できるものは、(再現性があるので)慣らしでできているものだけだと思う。私は素の状態では単発の実験をし続けるから、意図して慣らしの割合をあげてようやく上手くいくと思う。
繰り返すこと、意図して慣らしのもののよしあしの見極めを、今年はしている気がする
系譜にのせたり、知覚的に良いものを作るために、再現は必要だが、
単発でしかできなければ(楽しむのが目的でなければ)困るし、再現が目的になるとズレが際立って悪くなるし、再現の域をでないからつまらない。
とはいえ、
意識的に同じことを繰り返したり慣らしですることは私にとってとても恩恵がある。
単発実験症を作品にできるし、手を動かして楽しい時間を引き延ばせるから。
繰り返すといつか結果がでるんだけど、もっとやってやると思って、できないこととか、グローバルな価値を持つものに手を出して、悪しき再現にハマるのが、本当にお決まりのパターンになっている。
自分が継続して作っていく方法としては
以前は何かに強烈にハマれば、それとその崩しバージョンを作れて、自分も作れて楽しいしそれが好きな人にも喜ばれるから、いいよねと思っていだわけだけども
飽きたり、同一化したいというほど強い衝動を得られるものが(見つくしていって)少なくなっていくから、手を動かして面白いということ(単発実験のみで善し悪しを評価しない)だけによっていって、問題があった。
そして、ベースの知覚的な良さを考えたり、系譜を使ったり、できるものを極端化していったり、実験を作品化する方法など、一つの再現衝動によらない、人に理解可能で面白みのあるものを作る方法が、絵でなんとなくわかった。けど、それも上記の落とし穴があり、それを体験した、というのが現状だと思う。
客観的な良さ
ちょうどいい→好き、ありがとう
しすぎ→下手、つまらない
しなさすぎ→意味不明、興味ない
慣らし
ちょうどいい→その人らしい、コンスタントにできる
しすぎ→あきる、変化なし、つまらない、緊張感がない
しなさすぎ→単発実験症
絵では一つの再現衝動によらないもので、作品を作って自分も人も喜ばせられたけど、音楽ではできるのだろうか。
絵では系譜が明確かつ立体的な知識を手に入れていた、知覚的に重要なかわいさとか人間とか明度設計を制作のメインの課題にしていた。
グレードールは漫画のモノクロ表現とシックな服装や和装や黒髪というモチーフとの関係があって、一枚絵を作る分、ベタのところを日本画のにじみを使ったり、平面的な植物の描写を組み合わせられたり、戦後の日本のグラフィックデザインの感覚も組み合わせられるよねということなど、形式の理解とささやかな拡張をしていた。
グレードールという系譜を探索するうえで、モノクロや平面的なフォルムしかよく使えないという身体的/技術的な制約がぴったりあっていた感じがある。
なので、私は?作ろうとしている音楽の系譜の立体的な知識を手に入れ、歌とかメロディとかビートとか、知覚的な良さのみに絞って制作すればいいのかな。